トロンフォーラム

TRONWAREを振り返る TRONWARE200号によせて

TRONWAREを振り返る TRONWARE200号によせて

創刊のねらい

TRONWAREは1990年2月に第1号を発刊した。最初の数号は3か月に1回の発刊だったが、すぐに2か月に1号ペースになった。途中で判型を変えるなどのマイナーチェンジもしたが、その後は継続したスタイルで出版してきた。このたび33年かけて200号を迎えることになり、感無量だ。

なぜTRONWAREを創刊したかについてはVOL.1にも明確に書いているが、コンピュータがますます複雑化して社会のあらゆるところに入っていったとき、それをきちんと使いこなせる人間を育てる必要があるからだ。何かを作って、その情報を出すだけではダメで、その知識を広く啓蒙、教育するということが重要だ。1990年当時はまだインターネットが民間開放されたばかりの時代で、書籍は教育のためのツールとして重要なものだった。TRONの技術を習得してもらうための情報を出すという方針は、今でも変わっていない。最新の情報を伝えるだけでなく、さまざまな講座や学習教材の記事を掲載しているのは、そういった創刊当時の方針を今でも守り続けているからだ。

TRONプロジェクト始動

TRONプロジェクトは1984年から始まっているが、そのころはまさに高度成長の絶頂期だった。私も創刊当時はまだ30代後半で若かったが、当時の号を改めて読み返してみると、日本が高度に成長しているという勢いを感じる。

もともとTRONプロジェクトは、日本で独自にコンピュータを開発できるようにしようという試みから生まれた。

日本は第二次世界大戦で大敗を喫した後、しばらくコンピュータや航空機など開発できないものがたくさんあり、その間に世界に大きく差をつけられてしまっていた。そこから何とか挽回して、もう一度トップクラスの国に返り咲こう、そういった進取のムードが国全体にあった。第二次世界大戦後の朝鮮戦争やベトナム戦争など、さまざまな紛争があり、日本は直接関与してはいなかったものの、言わば西側諸国の後方生産基地のようになっていた。経済的にはある程度の余裕も出てきて、それを新たな研究開発費に投入し、さらに発展させようとしていた時代であった。

コンピュータの時代的な観点でいうと、半導体が1980年代の初めから進歩し始め、マイクロプロセッサの時代に突入する――それまでのディスクリート(ダイオードやトランジスタなど、単機能の個別半導体で構成された電子回路)で作られていたコンピュータが集積回路によるマイコンベースに変わっていくという時期だ。アメリカにはすでにマイクロプロセッサがあって、32ビットマイクロプロセッサが出始めており、インテルやモトローラが躍進していた。

TRONは日本独自のインフラや標準化を進めるためのプロジェクトとして、当時の日本電子工業振興協会という日本の業界団体のバックアップを得て、1988年に「トロン協会」という社団法人を作り、活動を始め、初代会長に富士通の山本卓眞社長に就任いただいた。実は、その前の1986年には日立製作所の金原和夫取締役に会長をお願いし、トロン協会の前身にあたる「TRON協議会」を発足し、その年には第1回TRONプロジェクトシンポジウムも開催している。そのような活動の甲斐あって参加企業が増え、まさに日本のコンピュータ関係の企業、全メーカーが参画する巨大な民間プロジェクトになった。

重要なことは、これは国策ではなく、民間で自らお金を出しあって立ち上げたプロジェクトだったということだ。TRONプロジェクトは当時の通商産業省や日本政府が多額のお金を出して始動したプロジェクトと勘違いしている人がいるが、それは誤解である。そもそも国のプロジェクトではなかったということが大きな特徴なのだ。

オープンアーキテクチャの精神

創刊号をはじめ初期には32ビットマイクロプロセッサの特集が多く組まれているが、TRONプロジェクトはもともと組込み型のリアルタイムOSを作るところから始まった。ITRONというリアルタイムOSが産業界で実績を上げ始めていたため、そのITRONが効率よく動くチップを作ったほうがよいということで、チップ開発のプロジェクトも誕生した。当然だがチップのプロジェクトは多額の費用がかかり、チップ単体で販売するのはマーケティング面からも難しかったので、アプリケーションの実績があるITRONがそのチップの上で動くということが重要だった。

TRONWAREの初期から盛んに特集されているが、TRONプロジェクトは当初からオープンアーキテクチャという考え方で、外国の人たちにも積極的に参加してもらっていた。オープンアーキテクチャを実現するために、TRONチップにしてもISP(Instruction Set Processor)レベルのアーキテクチャをしっかり押さえることによって、インプリメントは各社自由にするという方式を取った。これは実は今ARMがやっているのと同じやり方である。TRONははるか昔から、そうした方法でマイクロプロセッサの開発をずっと進めてきた。残念ながらTRONチップは広がらなかったのだが、その理由の一つに日米貿易摩擦などの政治的な問題が起こってしまったときに、日本政府がこの民間プロジェクトを守ろうとしなかったことがある。TRONは国策プロジェクトではないが──というか、なかったからなのか、国が動かなかったことには、ARMの元となったプロジェクトを英国政府が守ったのと比べると、今も忸怩たる思いがある。

1990年ごろには、日本にも半導体の売上だけで1兆円弱から数千億円の上のほうという会社がたくさんあった。しかし今は日本の半導体会社はほとんどなくなってしまい、パソコンや携帯電話を作っている会社もほとんどなくなってしまった。時代の流れとはいえ、日本はとても電子立国とは言えない状態になってしまったのは、残念なことである。

未来を見据えた幅広いテーマ

TRONWAREの200号を振り返ってみると、創刊号のマイクロプロセッサ特集に続き、ITRONがVOL.3、BTRONがVOL.4、μITRONはVOL.5で登場する。特集ではないもののCTRONもVOL.4で登場している。そのCTRONはNTTの電子交換機の標準OSになり、さらに電話交換がIPベースになるまで日本だけではなく世界中の電子交換機でも使われた。

私は、コンピュータが未来の生活や社会にどういう影響を与えるのかをずっと考えてきた。あらゆるものにコンピュータが使われる時代に向けて、日本の産業力を強化するためには標準化を進める必要があることを訴えてきた。1993年ごろには、未来オフィスや未来の住宅など、現在のインテリジェントビルやオフィスロボットにつながる構想を取り上げている。私が東京大学総合研究博物館に所属していたこともあり、デジタルミュージアムという文化財のデジタルアーカイブの研究にも力を入れた。教育にも力を入れており、日本語をきちんと扱えるコンピュータを作るために多漢字・多文字対応のコード体系づくりにも取り組んだ。

組込みシステムに関してはT-Engineプロジェクトがスタートし、今もT-Kernelの開発は継続している。ITRON系OSは組込みOSとしての安定性が評価され、「はやぶさ」などの人工衛星をはじめJAXAの宇宙開発事業で多く採用されるようになった。一方で、ユビキタス・コンピューティング時代を見据えて「モノの識別」が重要になるだろうということで、ucodeとユビキタスID技術の開発と普及も進めてきた。食品トレーサビリティや自律移動支援プロジェクトでは、携帯端末での電子タグの読み取りと情報表示、ルート案内、音声ガイドなどの実証実験が繰り返された。これらは今やスマートフォンを使って誰もが当たり前に利用できるようになっている。

2010年代以降はコンピュータの進化やインターネットの発展と連動して、TRONプロジェクトはAPI連携やオープンデータなど、現在の情報処理に欠かせない基盤にシフトしている。

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海外との連携

初期のTRONプロジェクトは、今までにないものを作ろうという意欲、イノベーションの気風、新しいものをここから生み出すという意識が非常に強かった。まだスマートフォンというものがなかった時代に、電話とコンピュータが融合したらどうなるのかということに関しても、今でいうスマートフォンの原型となるようなさまざまなアイデアを出していた。

たとえばユビキタス・コミュニケータ(UC)を開発してアジア地区へ展開した。中国、台湾、インド、シンガポールなどの東南アジア、韓国などへも盛んに行って、そうした地域の産業を増強させるためにTRONを伝道した。

TRONWARE創刊からちょうど10年が経った2000年ごろは、中国に何度も足を運んでいた。このころの中国は今と違って国を開いて成長しようとしていた。また、韓国からたくさんの留学生を研究所で引き受けていた時期でもあった。

TRONプロジェクトのオープンアーキテクチャという考え方は組込み分野では画期的だったので、IEEEからは高く評価してもらっていた。TRONシンポジウムはIEEEの協力のもとで早くから国際会議となった。さらにIEEE Computer Society PressからTRONの仕様書が発行されたり、TRON Symposiumで発表された論文がIEEEのXploreに掲載されたりするなど、多くの支援を受けている。また、プロジェクト初期には、Springer-Verlagというヨーロッパの出版社からもTRONプロジェクトの技術書を数多く出版した。

TRONが世界のいろいろなものに影響を与えてきたのは事実である。「なぜUCが今iPhoneやAndroidのようになっていないのか」と言われるが、TRONは研究プロジェクトであり、アイデアはかなり前から出していた。TRONプロジェクトの論文や仕様書を英語に翻訳して情報を出していたので、海外でまったく見られていなかったいうことはない。アメリカをはじめとして世界中のいろいろな学会で話したときに、「Kenがこういうことをやっていたのはみんな知っている」と言ってくれた人もいた。

2023年に、IEEE Consumer Technology Society からIEEE Masaru Ibuka Consumer Technology Awardを頂いた。コンシューマーエレクトロニクスの世界に長年影響を与えたことが受賞の大きな理由の一つだという。この受賞は、TRONプロジェクトがオープンアーキテクチャを進め、世界に大きな影響を与えてきたということのエビデンスとなるだろう。

次の10年へ

創刊30周年のVOL.180では「VOL.200が出る3年半後には、日常生活、社会生活にTRONプロジェクトが当初描いていたHFDS(Highly Functionally Distributed System:超機能分散システム)が社会を支えているだろう」と予測していた。

TRONの組込みOSはIEEE国際標準「IEEE 2050-2018」となった。さらに最新のT-KernelやμT-Kernelのソースコードや開発環境はGitHubから全世界に公開されている。IoTを実装するための、未来の住環境やオフィス環境を支える「ハウジングOS」や「ビルOS」といった情報基盤の構築も進んでいる。歩行者移動支援のためのプロジェクトは、自動走行ロボットにも応用されつつある。3年半前の予測に沿ってTRONは着実に前進してきたといえる。

光による革新的技術であるIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想を実現するためにIOWN Global Forumという国際的な団体とトロンフォーラムとの連携が始まろうとしている。さらに、昨今破竹の勢いで進化を続けているAIのテクノロジーへの取り組みも欠かせない。これからのTRONプロジェクトにも引き続き注目していただきたい。

TRONWAREでは、これからも常に国内外の動向に目を向け、新しい技術や応用に関する有益な情報、学習教材をいち早く提供していきたい。ぜひ今後ともご愛読いただければ幸いである。

坂村 健

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