トロンフォーラム

トロンフォーラム発足にあたって

坂村 健(トロンフォーラム会長)

80年代初頭から“The Real-time Operating System Nucleus”というオープンでフリーなリアルタイムのOSの核を開発し、当初はオープンアーキテクチャとして仕様を公開し、しばらくしてからはソースコードまで公開した。これはオープンソースの最初期のソフトウェアと言える。

「オープンソース」と言っても、ソフトウェアを開発してただ公開すれば良いというわけではない。まず、開発者以外でもソースコードを理解できるようになっているか――つまり可読性があるかどうかが問題だ。そのためには、ソースコードに対しての外部仕様書はもちろんのこと、中がどうなっているのかを記述した内部仕様書といったドキュメント類が必要となる。そのような体制を整えて、次に配布が問題になる。プロジェクトを始めた当初は、インターネットは学術研究機関以外には公開されておらず、ホビーストの間ではパソコン通信が流行っていた時代であった。コンピュータ関係でも仕様書類はまず紙に印刷して配布するという時代だ。バグが見つかった場合や改善の意見を受け付ける人的窓口も必要。世界に広めようと思ったら、公知のためのシンポジウムや講習会も必要となる。オープンソースソフトウェアとして公開するには、今以上にソフトウェア開発者以外にも手間も時間も人手もかかる。その分お金もかかった時代だ。

少なくともそのための組織を作らなければならないことはTRONプロジェクトを始めた1984年ごろから気がついていた。技術者だけではダメで事務をやる人も必要。当然事務所もいる。しかし、成果を無償で公開するための組織は当然利益を追求せず非営利なので、投資を集めて起業というわけにもいかない。ということで、電子協と呼ばれていた(社)日本電子工業振興協会がボランティアで、無償でサポートスタッフを出そうという話に1986年になった。これがTRON協議会の始まりとなる。しかし電子協は電子計算機を中心とした日本の電子工業の普及振興のための団体で、いつまでも甘えているわけにはいかない。独立させなければいけないということで、1988年に(社)トロン協会を作った。

誰でも寄付してくれれば歓迎であったが、当時はクラウドファンディングのような考えもなかった。ソフトウェアの仕様や実装をメンテナンスする費用を出してくれそうなところといったら、日本の場合は電子やコンピュータ関係の大企業に頼むしかない。そこで、そのような企業から有志に集まっていただいた。2012年にお亡くなりになった富士通の山本卓眞社長(当時)がオープンを目指すことに大賛成であるということで、初代の会長になっていただき、東芝、日立製作所、富士通、沖電気工業、日本電気、松下電器産業、三菱電機など日本の主要な電子企業が集まって非営利法人のトロン協会を設立した。

2000年代になってくるとTRONも国際的に普及し始め、米国、欧州、アジアの企業が寄付をして支援したいという話が出てくる。ところが、当時の日本では非営利法人は、社団法人か財団法人の組織形態にしなければならなかった。非営利でビジネスをしているわけではなくても、寄付金に対する税金などの問題があった。トロン協会は社団法人にしたのだが、当時の法律では、社団法人はどこかの省が管轄するという仕組みになっていた。トロン協会は組込みコンピュータソフトウェアの開発と普及が目的なので、通産省管轄の社団法人となった。管轄省庁はお目付役であり、非営利なのに利益事業を行っていないかなどを監査する。しかし、海外から見れば、完全に独立した非営利団体に対して寄付したいのに、日本政府管轄の団体に対して寄付するのは望ましくないということで、TRONが全世界に広まっていったのとともに、2002年に完全な非営利団体(NPO)であるT-Engineフォーラムを設立した。

ITRONはAPIこそ統一したが、実装はCPUに最適化するため弱い標準化にとどめたオープンアーキテクチャとしていた。しかし、このころにはCPUの性能が向上したこともあり、実行効率と開発効率のトレードオフポイントがシフトしたため、ミドルウェア流通のために、TRONにより強い標準化を望む声も大きくなってきた。しかし、依然としてレガシーなCPUでのITRONの需要も残っていたため、ラインを2つに分け、弱い標準化のITRONは従来どおりトロン協会で続け、それとは別により高性能なCPUコア向けのシングル・ワン・ソースRTOSとしてT-Kernelのラインを作ることとなった。そちらはT-Engineフォーラムでサポートするという意味でも、組織が併存することは都合が良かった。

このT-Engineフォーラムには、IBMやマイクロソフトといった企業はもちろんのこと、フィンランドのVTTのような国立研究所にも入会していただき、オープンなリアルタイムOSの活動を今まで続けてきた。

このような経緯で、トロン協会とT-Engineフォーラムが併存してきたが、二本立てになっているのは良くないということで、2010年にはトロン協会は終止符を打ち解散、T-Engineフォーラム一本でやってきた。そもそも「T-Engineフォーラム」という名称は、トロン協会があった前提で別名称とするために「TRONをエンジンとした開発ボードのフォーラム」ということで決めた名称である。しかし、一本化して5年以上経った現在、IoTやユビキタス・コンピューティングなどTRON本来のターゲットに対する取組みも活発化し、組込みOSとその開発ボードだけやっているわけではなく、「T-Engineフォーラム」という名称自体を見直そうということになった。本来のTRONブランドに戻せるならその方が良いのではないかという意見が、T-Engineフォーラムの会員の中からもたくさん出てきた。

ということで、2015年4月から「トロンフォーラム」という名称に一本化するという準備を半年ほど前から行い、T-Engineフォーラムのみなさんのコンセンサスも得られた。IoT時代に向けて、オープンソースだけではなくて、オープンデータやオープンAPIなどにも力を入れると、昨年末のTRONシンポジウムで宣言したこともあり、ちょうど良いタイミングでもある。

では、トロンフォーラムが何をやるのかを整理してみよう。今まで、TRON協議会、トロン協会、T-Engineフォーラムと営々と受け継がれてきたリアルタイムOS核のオープンソース化のさらなる発展と維持管理。具体的にはソースコードの管理、完全なドキュメント化、バグを見つけて修正するメンテナンス、質問・問合せへの回答、セミナーの開催、内容を理解しているかどうか資格試験などについては従来どおり継続する。講習会やシンポジウムを開き、積極的に運用し、インターネットを利用した国際的なプロモーションやTRONSHOWをはじめとした各種展示会に出展し、TRONの普及活動――これらをまず第1に行う。

2番目に、TRONのRTOSはIoTの重要なキーパーツであり、全体の目標をIoTに定めるということをトロンフォーラムは明確化する。最終的な目標は、ユビキタス・コンピューティング、IoTであるが、今までやってきた活動はそのための重要なキーパーツ整備であるという位置づけを行う。そのために新たな活動として着手したのがオープンデータ。公共交通オープンデータ研究会のような活動を今までも行っていたが、さらに発展させて、TRONなどの組込みノードから集められた大量のセンサーデータをオープンデータと合わせていわゆるビッグデータ解析を行うことにより、現実の世の中つまり現実空間の事象がどうなっているかを状況認識するというアーキテクチャを明確化する。

IoTとユビキタス・コンピューティングが目指していることには状況認識が重要になる。状況認識をするためには、センサーから来るデータだけでなく、世の中がどうなっているのか、どういう仕組みになっているのか、構造はどうなのかをオープンにされたデータで把握し、さらにセンシングした事象とあわせて解析する必要がある。そのためにオープンデータが重要になってくるのだ。鉄道の動的データをはじめとして公共セクターが持つようなデータをオープンにする仕組みを作る。公共交通に関しては公共交通オープンデータ研究会をやっているが、障碍者の方々が通れるルートを示すバリアフリーマップを作るための情報も、国土交通省や地方自治体のオープンデータを利用している。こちらはTRONイネーブルウェア研究会で進めてきた活動だが、これらをオープンデータという軸で統合し完成させる仕事を行う。

3番目として、IoTの制御のために、TRONのRTOSなどを使って作られた民生用機器のAPIを積極的に公開してもらう活動を精力的に開始する。トロンフォーラムにオープンAPIグループを作り、TRONなどを使って作られた機器のAPIを整理して公開してもらうという活動により、IoTをさらに発展させていきたいと思っている。

IoTを支える重要な考え方としてオープンソース、オープンデータ、オープンAPIをトロンフォーラムは積極的に進めていきたい。このようなさらなる活動を4月から開始することにしたので、ここに皆さんにご報告する次第である。

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