はじめに
近年、ITの進展やネットワーク基盤の普及とユーザ層の拡大に伴い、社会のあらゆる場面における情報流通をコンピュータ化することで、社会活動を効率化しようとしている。この際、重要なことの一つに、情報セキュリティーがある。
情報技術による社会活動の効率化は、同時に各種の不正な活動の効率化をももたらすことになる。例えば、盗聴や偽造、情報改竄などの不正行為のコストとリスクさえも極端に低下させてしまう。更に、コンピュータやネットワーク技術に詳しくないユーザが情報社会に大量に参加してくるため、これらのユーザが情報技術に詳しい悪い者による不正行為の格好のターゲットとなる。これにより、不正行為を極めて効率良く実施できるという、望ましくない状況が生み出されるのである。
社会活動の望ましいデジタル化、ネットワーク化のためには、不正行為を行うことのリスクとコストを十分に高められるセキュリティー基盤技術が、一般のエンドユーザにとって容易に利用できるものとして確立され、更に普及しなければならない。それは、例えば家の「錠前」のようなものである。つまり、高精度の工学的技術の結晶でありながら、一般の人にとっては「鍵」という金属片を管理するだけであり、簡便でわかりやすく利用できる。扉を不正にあけて悪事をはたらこうとする者にとっては、多大なリスクとコストが必要になる。
このような理念に基づき、我々はコンピュータ化された社会活動において中核となる「情報」を安全に格納し、デジタル情報基盤上で流通させることを可能とする、耐タンパー性を備えたハードウェアを用いた分散広域システムアーキテクチャ、Entity TRON (eTRON) を開発している。
電子実体(Entity)
現実の社会活動において必要とされ且つ実現されているが、現在のデジタル技術では完全に実現されていない情報セキュリティー機構のモデルとなるものには、証明書に対する紙類や、錠前に対する鍵といったものがある。
例えば、社会が機能するための重要な仕組みの一つに、価値情報の流通がある。現代社会における最も重要な価値情報の一つは貨幣であり。その他にも各種証書、証券、チケットなどもある。これらは権利を保証する証明書である。これらが実効性を持つためには、流通時に偽造や改変がなされていないことが保証されなければならない。実物の証明書類は紙やインクの質や高度な印刷、透かしといった物理的性質の複製困難性により、この保証を得ている。
一方、鍵の重要な性質は、ある扉を開閉できる権利を小さな金属片とすることで、常に身につけられることである。身につけることで、盗難や不正利用を防いでいる。鍵という小さな金属片を必要に応じて他人に貸したり、錠前屋で複製を作成することで、権利の管理を一般に理解しやすい直喩として実現している。
そこで、今までは物理的な実体によって実現されてきた、一体性、製造困難性、複製不能製、改竄困難性、携帯性などの性質を与えた特別なデジタル情報を「電子実体(Entity)」と呼び、これを実現するアーキテクチャ、Entity TRON (eTRON) を、トロンプロジェクトの一環として研究開発している。コンピュータによって容易かつ効率的に管理でき、またネットワークによって遠隔地に送ることができるといったデジタル情報の利点を維持したまま、これらの性質を持つ電子実体を実現することが、望ましい社会活動の情報化にとって不可欠である。一方で、デジタル情報は原理的に、情報品質を劣化させることなく完璧に内容を複製、変更できることから、こうした性質を実現することと根本的な矛盾を抱えているともいえる。この矛盾を技術的にどのように解決するかが、eTRONの最大の技術的課題である。
|